今日がどんな一日でもここが人生の最高到達点だと忘れないで

空を見上げる男性

自宅や、駅の構内や、会社のビル内など。日常生活の中で僕たちは割と頻繁に、階段を上ることがあると思います。先日ちょっと長めの階段を上ってみました。1000段以上の階段を上ってみると、なんだか感慨深いものがありますよ(笑)

香川県の「金比羅山(こんぴらさん)」には1386段の石段があります。一大ブームになった、さぬきうどんを食べに行ったついでに何度か僕も訪れたことのある場所です。

先日訪れたときにダッシュで一気に登ろうと無茶をしてみましたが、さすがに1386段を一気に駆け上がることはできず、途中で立ち止まって休みました。そこはちょうど800段辺りだったと思います。

下を見ても上を見ても気が遠くなるほどの石段だらけ。「今さら降りるのも大変、上るのも大変」と感じたのを覚えています。そして、「これってなんだか人生に似てるかも」と不思議な気分になりました。

今日が過去の人生最高到達地点

果てしない石段

石段を人生にたとえると、上ってきた石段は“過去”です。下を見るとこれまで踏破してきた586段の石段が見えます。そうして、今日の自分は過去の最上段に立っている。そうは思えないとしても、実際にそうなのです。

もしかしたら、あなたはこう思っているかもしれません。人生の中で「最盛期」とか「モテ期」だとかそういう自分史上最高の旬は既に過ぎてもはや下降線をたどっている。自分の黄金時代は遠い昔のこと。

居酒屋での昔話にだけ盛り上がり、明るい未来が描けない。現在の自分の話をしても愚痴や不満・あきらめしか出てこない。「現在の自分は過去の栄光にすがるだけの抜け殻だ」と。

そんなふうに感じたとしても、あなたは人生を歩き続け、階段を上り続けている。今日の自分はそうした過去の200段目、300段目を通過して今日は800段目に立っている。今日の自分は過去の人生で最高峰に立っている。これは間違いのないことです。

僕は年齢のことをいっているのではありません。いえ、むしろ年齢は関係ありません。それだけ棺桶に近づいたという話ではないのです。

今日は残りの人生の最初の一日

スタートライン

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一方、上を見れば同じようにまだまだ上るべき石段があります。そして今日立っている800段目は、その最初の一段目なのです。だから「もっと上を目指したい」「いい景色を見たい」という向上心も生まれる。

「今日という日は、残りの人生の最初の一日」という言葉がありますが、まさにそのとおりだと思います。

この有名な言葉を僕はこう解釈しています。「人生に遅すぎるということはない」「道はいつでも前にある」と。そして、これらは僕の行動指針の一つになっています。

人生に後悔なんてそもそも要らない

腕組みする少年

800段目(今日)を境に、上(未来)を見れば最初の一段目。下(過去)を見ればこれまでの最高到達地点。そうはいっても、「とても今が最高地点だとは思えない」そんなふうに感じる人もきっといるでしょう。

「あのとき、ああすれば良かった」とか「あちらを選べば良かった」というふうに後悔を抱えている人には特にその傾向が強いかもしれません。それは、「今は失敗の延長線上にいるのだ」という意識が消えないからでしょう。

でも「今の自分ならあんな判断はしないのに」と思うのは、その経験をもとに自分が成長してきたからなのです。そのときの「その判断」や「その選択」がなければ、今のように思える自分にもなっていなかったのです。

喉元過ぎて熱さを忘れた頃になってから、あれこれといってもそのときの自分がベストだと思って選択したことならば、やはり最善であり間違いではないのです。

それを間違いだといってしまえば、間違わないために今後の人生において何も選択できなくなるでしょう。そして、そのときはどう考えても「その選択」をするしかなかったはずです。

だから「自分はどうしようもないヤツだ」などと思う必要はまったくありません。だって、何も間違いはなかったのですから。

もっと上があるから人生は楽しい

階段を上がる靴

そんなことを思いながら、金比羅山の1386段を今回も上ってきたのですが、僕はまだまだ小さい。熊本県の「釈迦院御坂遊歩道」には3333段の石段があるそうです。そして、これが日本一の石段といわれています。石段の数は今回の2倍以上です。目指すべき“上”があるのは楽しいものです。

あなたの今日がほんの少しストレスフリーに近づくことを願って。

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